2016-12-12
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■ 薄明りの江戸川堤
30年来の友人から、喪中の葉書が届いた。
今年の夏、父親が他界された事が記されている。
普通であれば、年賀状の送付を差し控えるだけでもあるが、
そのままにしておいてはいけない、事情があった。
今から20年程前、私事の祝いの際に、当時としては結構な金額の
祝儀袋をいただいていた。
それから20年、お返しをしようにも、彼は独身を謳歌したままでもあり
全くもって義理を果たせないでいた。
以前、彼が別の友達に懇願され 『お金を貸したが、返って来ない』 と
静かに嘆いていた事を覚えている。自分も妙に複雑な気持ちになった。
とにかく電話を入れて、お焼香させていただく事を申し入れた。
その際の香典により、当時受けた義理の半分でもお返ししなくてはならない。
最初、丁重に断られたが、2度目の連絡でようやく受容れてくれた。
当日、彼の最寄りである、京成江戸川駅で待ち合わせをした。
静かな改札を出て、江戸川堤防を横目に、昔話をしながらゆっくり歩いた。
遠目に彼の居宅が見えると、ぼんやりと薄明りが灯っている。
きっと、既に打合せ済みで、彼のお母さんが待っている事が想像出来た。
1本のお焼香が済み、振り返るとお母さんがすすり泣いていることを
目の当りにしてしまい、不覚だったが、もらい泣きをしてしまった。
その後、バスに乗りJR小岩駅に出て、久しぶりに2人だけで酒を飲んだ。
ようやく義理の半分を果たせた事で、少し安堵したような気持ちになったが
残りの事については、考えたくはなくなった。
借方があったままでもよいのだ、そう思えるようになってきた。