夏休み

これは私が走っている坂道です。
70メートル。
私がこの坂でダッシュする距離です。
70メートル地点で、標高差は約6メートル。
水平距離に対して約8.6%。
ランニングコースとして見れば、数字だけなら「少しきつい坂」くらいなのかもしれない。
でも、実際にここを全力で駆けると、その約8.6%という数字が、急に身体の感覚へ変換される。
接地するたびに、身体が前へ進むというより、
身体を上へ押し上げている感覚になる。
ストライドは自然に小さくなる。
腰を落としすぎない。
接地時間をできるだけ短くする。
腕振りでリズムを作る。
そして、70メートル。
ここまで来る頃には、脚より先に呼吸が限界を知らせてくる。
面白いのは、この坂が70メートルで終わらないことだ。
頂上までは約150メートル。
つまり、70メートルを全力で走ったあとに、まだ約80メートル残っている。
だから私は、この坂を「150メートルの坂」とは考えない。
70メートルのダッシュと、
その先に残された80メートル。
その二つの異なる時間を持った坂として考えている。
前半は、身体を使う。
後半は、意志を使う。
70メートルまでは、脚が自分を運んでくれる。
でも、その先は違う。
「もう十分走った」と身体が言い始める。
そこで、まだ走れる理由を頭の中から探す。
ここが、坂道ダッシュの少し変なところだ。
トレーニングのようでいて、途中から哲学になる。
なぜ走るのか。
速くなるためなのか。
強くなるためなのか。
心肺機能を高めるためなのか。
もちろん、それもある。
でも、何本も繰り返していると、そんな目的が少しずつ薄くなっていく。
残るのは、
「止まらずに、あと一歩進めるか」
という、妙に原始的な問いだけだ。
150メートルの坂を登ったからといって、人生が何か良くなるわけではない。
6メートル高い場所に立ったからといって、何かを克服した証明にもならない。
それでも、身体は覚えている。
70メートルで肺が苦しくなったこと。
脚が重くなったこと。
それでも、80メートル先の頂上まで走ったこと。
こういう無意味に見える反復が、案外、人間を作っているのかもしれない。
数字にすれば、
70m。
+6m。
頂上まで150m。
たったそれだけ。
でも、その数字の間には、呼吸と心拍と乳酸と意地が詰まっている。
地図には標高差しか残らない。
GPSには距離しか残らない。
Stravaには、たぶんタイムしか残らない。
でも、自分の身体だけは知っている。
何本目で苦しくなったのか。
どこでフォームが崩れたのか。
どこで「今日はやめよう」と思ったのか。
そして、それでも最後の一歩を踏んだことを。
だから私は、またこの坂に来る。
70メートルを測るためではない。
6メートルの高さを獲得するためでもない。
自分がどこまで「あと一歩」を引き延ばせる人間なのか。
それを確かめるために。
坂道は、今日も同じ傾斜でそこにある。
変わっているのは、坂ではない。
その坂を走る私のほうだ。




